小澤征爾、死去

 小澤征爾が2月6日に死去した。88歳。デジタル版の速報見出しは道新が「世界的指揮者の小澤征爾さん死去/88歳、文化勲章受章者」、朝日は「指揮者の小澤征爾さん死去、88歳/戦後日本のクラシック界を牽引」。読売は「小沢征爾さん死去、88歳/ボストン交響楽団などで日本人初の音楽監督」。毎日は「小澤征爾さん死去、88歳 世界的指揮者、日本クラシック界けん引」。日経が「小澤征爾さんが死去、88歳 指揮者「世界のオザワ」」。明日朝刊の紙面が気になる。
 小澤の才能の最たるものは「人たらし」だったのではないか。人間力と言ってもいい。とにかく人に好かれる。聴衆はもちろん、共演する演奏家、支援者、後半生をささげたとも言えるフェスティバルの地である松本の人々にも。38歳だった1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務めたことが、何よりの証左だ。同じ楽団のシェフをこれだけの期間、一人の指揮者が務めることは「空前」はいざ知らず「絶後」であることは間違いない。
 そしてあの目。人なつこいふだんとは違って、指揮台から演奏者を睥睨する目力。壮年期の指揮ぶりを映像で観て、楽団員ひとりひとりに向ける視線の強さは印象的だった。しかしカラヤンのように強大な力で威圧するのではなく、「一緒にいい音楽をやろうよ」と肩を組み、体を預けてくるような音楽仲間への向き合い方。どちらかと言えばバーンスタイン型か。2010年に判明した食道がんで闘病し、2017年に松本フェスティバルを取材した際は、内田光子との共演でベートーヴェンの第3協奏曲を椅子に腰掛けて指揮した。それでも要所要所で立ち上がり、音楽を駆動させようとする意志が伝わってきた。取材の一環で話を聞いた札響コンマスの田島高宏(サイトウキネンで何度も共演)は、体力的に衰えが感じられても、かえって「オーケストラ側が小澤さんを支えようという強い気持ちを持つように」なったと話していた。それもまた人間力あっての関係だ。
 渡米する前、N響とは不幸な事件があり、原因の一端を小澤自身の慢心と見る向きもあった。楽団員との軋轢は、個性派ぞろいの指揮者にはありがちのこと。かつて何度か小澤を札響に招いた(小澤=札響の《幻想》に名演あり。FM東京にいた東条碩夫が録音を担当した)事務局長の谷口静司は、自宅に小澤を泊めてさんざん酒を飲み交わしても、早朝にはスコアを眺めているような音楽への誠意があったとエピソードを語ってくれた。札響60年史執筆のため、定期会員から集めたアンケートでも、函館で小澤が指揮した札響演奏会があった日(1978年5月12日)、函館市民会館前の公園の芝生に寝転がってスコアを読む、白い服、ボサボサ頭の若い指揮者がいたという回答があった。常にポジティブで、より良い音楽を極めたいというパッションを絶やさない姿が、世界に愛される指揮者の偉大さだったのではないか。
 生の演奏を聴く機会はだいぶ前に失われていたが、私たちにはたくさんの音源をかみしめる機会が与えられている。あの笑顔と眼力を思い出しながら。
 道新カルチャー面。『夜明けのすべて』が公開中の三宅唱監督(札幌出身)インタビュー。他者から理解されにくい生きづらさを抱えた2人の物語。〈人生には理不尽なことがたくさんあって、その上でどう生きようとするか。自分も年齢を重ねて、そういったことを意識的に描けるようになってきた〉
 道新10区新聞では、北海道立近代美術館で開催中の特別展「AINU ART―モレウのうた」を大きく取り上げた。トークイベントの第1回で。木彫家・貝沢徹(平取町二風谷)、金工家・下倉洋之(阿寒湖温泉)に、五十嵐智美学芸部長が聞いた。同じ紙面では、3月末で閉館する道新ぎゃらりーで北海道イラストレーターズクラブアルファが開いている「道新ぎゃらりーサンキュー展」を紹介。ギャラリーは2003年に札幌時計台ビル地下にオープンし、2008年から本社へ移った。


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