現代アートシーンを振り返る

 この日はSCARTSで、SIAF2024連携プロジェクトのひとつ「Sapporo Parallel Museum 2024」関連のトーク「1990~2020年の札幌現代アートシーンをふりかえる 創造都市編」 が開かれた。SIAFディレクターの小川秀明をはじめ、酒井秀治、高橋喜代史、端聡、浜部公孝、細川麻沙美、吉崎元章、今村育子の面々。最初はそれぞれの立場でプレゼンテーション。浜部が札幌の「創造都市宣言」とは何なのかを解説したあと、吉崎が1990〜2020年の北海道美術を振り返る総論を、端が2014年の第1回開催に至る経緯を、小川が今回のSIAFについて、細川はこれまでと今回のSIAFの比較を交えて、今村はパラレルミュージアムについて。後半の座談で興味深かったのは、最後に高橋が芸術祭への地元作家の起用について尋ね、SIAF側が「地元作家を多数起用することが本当に必要だろうか。SIAFに触発された別の展覧会という形もあり得るのでは」と問いかけたこと。2014年のSIAFではこの点が焦点となり「永遠の課題」という受け止めになったが、今回はこの問いかけに異論はなく、一応の決着を見た格好。
 朝日新聞は引き続き小澤征爾追悼。村上春樹の追悼文に1頁を割いた。多くのエピソードで小澤の人となりを紹介。オーケストラへの向き合い方として〈征爾さんはあまり感情を面に出すことなく、ゆっくりと、ひとつひとつ丁寧に細部のネジを締めていく人だった。オーケストラの出す音に注意深く耳を傾け、問題があればそれを指摘し、どこがいけないかをユーモアを交えてフレンドリーに説明し、その部分を締める。それを何度も何度も繰り返して、彼の求める音を、音楽を、辛抱強くこしらえていく〉〈征爾さんの場合は、ネジをぎゅっと締めることによってその結果、驚くほどすんなりと演奏から肩の力が抜けていきのだ〉〈そこには過度なメッセージ性もないし、大げさな身振りもないし、芸術的耽溺もなく、感情的な強制もない。そこにあるのは、小澤征爾という個人の中に確率された純粋な音楽思念の、拒食を排した誠実な発露でしかない〉。貴重な観察であろう。
 同じ日の文化面では、桐朋学園の後輩である秋山和慶が、音楽面から小澤征爾を語った。〈小澤さんの音楽の特徴を一言でいえば、やはりあのリズム感、そして瞬発力です。どこをちょっと緩めようとか、ぐっと持ち上げようとか、そうしたペース配分がすごく上手だった〉も、村上の言葉と通じる。恩師斎藤秀雄が臨終の場面に言った「ごめんな」「君らをよく怒ったのは僕が未熟だったから」との言葉が、小澤の音楽や人間への愛の根源であったのではないかと結ぶ。
 ボストン交響楽団が9日、バッハの『G線上のアリア』で小澤征爾を追悼した。道新社会面。
 道新の読書ナビ《ほっかいどう》。藤尾均『歌が誘う北海道の旅』(新評論)は、ご当地ソング78曲を紹介する。著者は医学史、医学倫理などが専門の旭川医大名誉教授。《北海道の新刊》は朝倉かすみ『賑やかな落日』(光文社文庫)、高澤秀次『評伝 立花隆』(作品社)、横山北斗『洞爺丸追憶』(津軽書房)。
「島をまるごと楽器化する」というコンセプトで、東大大学院准教授とSIAFラボが江差町鴎島の奇岩「瓶子岩」で試みた実験。50年前に実験音楽家デビッド・チュードアがスウェーデンの孤島クナーヴェルシェアで構想した未完の「コンサート」を模したという。超音波を使ったパラメトリックスピーカーで、鳥のさえずりを島や岩にぶつけるように流す。2月17、18日に北大工学研究院のVRシアターで上映する。朝日新聞北海道面。


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